13歳。。。入門から3年くらいの1856に、近藤とともに、調布の村まで出げいこにいってます。13歳で、近藤勇とともに、天然理心流の看板を背負って、他流派へ稽古に、出向いてました。19歳。。。。免許皆伝、塾頭となりました。近藤勇の一番弟子として。総司の墓石には、北辰一刀流の免許皆伝とも刻まれているらしいです。どこで学んでたのか。。。。。もしも試衛館で教えていたのが山南さんだとしたら、その後の運命にわたしは泣いてしまう。泣いちゃうねー。。。。。。10代にして複数の流派の免許皆伝というのは、すっごい天才ぶり。。。。19歳ころ麻疹にかかって死にそうになった時もみんなが、天才剣士の総司の体を心配して周囲からとても期待され可愛がられていた青春時代だったみたい。可愛い。そして20歳から24歳には、新撰組として京都へ。副長助勤筆頭、新撰組一番隊組長、剣撃師範筆頭、小銃頭など歴任。。。。リーダーシップも発揮してました。そしてたぶん、過労から肺結核感染しました。かわいそう。
そして25歳江戸に戻り千駄ヶ谷にて息を引き取ります。ほんとに短い人生でした。大河ドラマとしたら、夏ごろ死んじゃうので、もしも佐藤健やるとしたら、後半は土方の向井理→予定。。。が戊辰戦争で戦死するまでだね。いや、その前に近藤の内野聖陽→予定が、捕まって刑死する場面とかもあります。なので秋ごろまで、いやいや晩秋まで11月分の放送までは沖田の佐藤健生きているので、なんとか「沖田総司」大河でも行けそうですが。笑映画でもなんでもいいので、やってほしいなと。さて、15歳の総司が、本気でやったら、近藤勇もやられるだろう。。。。というくらいの剣の達人であったエピソードですが、沖田の剣術指導が怖かったらしい。明るくて無邪気で冗談ばかり言っていたというお茶目な面から一転。。。。剣術指導者としての総司は、すっげー鬼で厳しくてみんなが恐れていて「荒っぽくてすぐ怒る。師範の近藤勇より怖かった」とみんな言っていて「刀で斬るな、体で斬れ」と叩きこんでいたらしい。ジャニーズの松岡君が「滝沢の後輩でなくてよかった。。。」とほっとしていたという話きいたことあるけど、それだな。笑武闘派の土方さんと仲良しだった総司。。。。相当の負けず嫌いで相当気が強かったと思います。なので、結核でもずーっと新撰組を辞めなくて、倒れて死んでしまうまでみんなと頑張りました。ふつう寝込むもんね。。。可哀想。この子供時代から死ぬまでの月日を丁寧に佐藤健が演じてくれたら、すごーい感動の名作ができるはず。テーマソングはジョングラムでお願いします(^^♪
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